枕草子を読んで

こんにちは、皆様お元気ですか?
そろそろ若葉を目に留めては、夏に向けての心の準備を促されるような景色になってきたような気がします。

そんな、希望を象徴する早緑色の季節にも、若い命、親しい友人、大切な人の訃報などの悲しい知らせは否応なく訪れることがあります。
二度と、大切な人と話す事ができない悲しみを乗り越える時は、やはり来るのでしょうが、
そこには、悲しみを乗り越える悲しみ、もあると思うこの頃です。

忘れてしまう悲しみのせいで、なかなか、ひとは悲しみを乗り越えられないのかもしれない。

「別れ」という悲しみよりも、「記憶の消滅」の方が、悲しみは大きい気がします。

それに最近気付いた私です。

————–清少納言「枕草子」をよんで————-

今回は古典文学三大随筆の一つ、「枕草子」でした。

メタファーを受け取るアンテナの感度をあげるために始めたアートオンブズマン読書会ですが、好きな音楽を好きな時に好きなだけ聴くのとは違い、読書会に参加でもしなければ読む機会を先延ばしにしてしまいがちな題材を選ぶ事で、慣れた刺激、受け取り安いメタファーではなく、心地よい価値観では必ずしもない、新鮮なメタファーを積極的に捕らえようとする意図があります。

平安時代中期の第66代天皇 一条天皇(在位986年から1011年、なんと6歳に即位か) の中宮定子(のち、彰子が中宮に冊立され、定子は皇后宮となり、一条天皇は一帝二后の先例を開いた、以下、抜粋は全てwikipediaより)
に仕える女房((にょうぼう)とは、平安時代以降に皇族などに宮仕えした女性のこと。自分用の部屋を与えられ、炊事洗濯清掃といった家事労働や雑務はしない)
である清少納言が、宮仕えの時代から中宮定子死後、宮仕えを退いてからの十年間のあいだに執筆したということです。

今回私は、角川ソフィア文庫版(石田譲二 訳)を購入し、途中から時間の関係で現代語訳の方を読みました。
ところでこの訳者の石田譲二さんは、専門家でも賛否両論の枕草子にたいして、評価は「低い側」の研究者のようでして、「個の資格で書かれたものではなく、定子礼賛に過ぎない」というような批判をしています。

定子プロパガンダが本質かどうかは読み取るまでに至りませんでしたが、意図せずにも、そういった要素はあるかもしれないと思います。
また身分制度のある現実社会を当事者が書くエッセイにはある程度権威主義的視点が必然的に含まれるのだろうと、私は解釈しました。

以上のことを背景として、三百超の章段を成す枕草子は、
春は曙、という言葉から始まるような日常生活や四季の自然を観察した「類聚章段」「随想章段」や、作者が出仕した中宮定子周辺の宮廷社会を振り返った「回想章段」にわけられます。

前回の読書会の題材「草枕」では、夏目漱石がそれまでの文学にアンチテーゼとして「文学の物語否定」を投げかけ実践した価値を見て採りましたが、この枕草子における「類聚章段」「随想章段」も、そういった絵画的な、そして物語性を抜きにした自然、人間の描写である事は間違いないと思います。

また、当時においても枕草子は革新的であったと評価する研究者もいるようで、未必の故意のアンチテーゼだったかもしれません。そう考えると、「草枕」と「枕草子」はタイトルが似ているのも気になっていたのですが、意外にも夏目漱石は何かしら意図があってのことかと、深読みをしてもみました。

では回想章段はどんなものかといいますと、これがこの随筆の評価を分ける原因だとおもいますが、

何しろ身分制度があり、史上未だ「基本的人権」の存在が認められ得ない頃の、
しかも全人口のうち極めて少数であろう識字者になれる出身身分、その中でも宮廷に出入りし中宮に仕え、専用の部屋まで充てがわれている身分にある清少納言は、エリート中のエリートであり、

その彼女が主人である中宮を賛美し、卑しい身分のものたちを蔑む視点から描写する平安時代の風俗は、研究者であれば価値をみるでしょうが、一応の民主主義が始まって久しいこの時代の私たちにとってこれは単に、少し気分を害する文章だと言っても、過言ではないかと思います。

さて、私は、文学にせよ音楽、絵画、映像、演劇など、あらゆる表現は「近未来の予見描写」であると考えます。

文学の場合の物語性、その中心と言えるのは「因果関係」であり、人間が生来需要する生命維持のためのロジック、法則の供給ですが、

因果関係の範囲にない、メタファーの本質は、人間が過去に捉えきれなかった法則を、未来に求め、そしてそれを未来から供給する役割があります。

その意味で、この枕草子の「類聚章段」「随想章段」には未来性を、
そして「回想章段」も含めて枕草子自体の過去性を、
見る事が出来るのではないかと、
そしておそらく、これは古典、または歴史的な芸術のもつ普遍的な価値ではないかと、思いました。

しかしながら、私は読書会の後、この結論を噛み締めながら、また別の感慨に至りました。

あくまでも、研究者ではなく、無責任な一読者でしかない私にとって、
清少納言が、中宮定子のプロパガンダとしてこの枕草子を書いたとは、あまりに殺生であり、

また未来と過去をこの古典文学にみるという価値も、
一生活者の私には、感情移入するほどの揺さぶりにならず、
それは社会のアートリテラシーを高めるという高い夢にとって、希望をもたらしてはくれましたが、

生活者の、足の立つ地面の底に流れる水を温める力に、果たして、なるでしょうか。

私はならないとおもいます。

そしてだからこそ、清少納言の中宮定子にたいする愛情、感謝に注目します。

定子の死後、書かれた部分が大きいとも言われるこの枕草子は、

二度と会えない定子との宮廷生活の思い出、

美しく切ない思い出を、

彼女は忘れたくなかったのではないか、と。

別れという悲しみを、大切にするために。
抗い切れない記憶の消滅をすこしでも食い止めるために書いたのだと、私は思うことにしました。

そして、一生活者の一人として、

身近で大切な人も、身近でない人にも必ず居るその人の身近な人のために、
その意味で、生きているすべての人とその人の大切な物のために、

それを大切にすることを応援し、
皆が大切に出来るようになるために活動を続けて行こうと思いました。

では、今日も長い文章にお付き合い下さいまして、有難うございました。

今後とも宜しくお願いします。(2012/4/25)

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