方丈記を読んで

方丈記をよんで

前回の「枕草子」に引き続き、今回は三大随筆のもう一つに数えられる「方丈記」を題材と致しました。

さて方丈記の著者である鴨長明という人物について簡単に、Wikipediaからの抜粋にて紹介致しますと、

『賀茂御祖神社の神事を統率する鴨長継の次男として京都で生まれた。俊恵(しゅんえ。平安時代末期の僧・歌人。百人一首85番にも取り上げられた。)の門下に学び、歌人としても活躍した。望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ。神社の長である宮司の次におかれる神職の職位。)の地位につくことが叶わず、神職としての出世の道を閉ざされた。後に出家して蓮胤(れんいん)を名乗ったが、一般には俗名を音読みした鴨長明(ちょうめい)として知られている。
琴や琵琶などの管絃の名手であり、長明が出家し遁世したきっかけとなったのも、『文机談』には琵琶の師の亡くなったあとに、演奏することを許されていない曲を演奏したことが知られてしまったためとある。』
『鴨長明が晩年、日野山に方丈(一丈四方)の庵を結んだことから「方丈記」と名づけた。末尾に「干時、建暦のふたとせ、やよひのつごもりごろ、桑門の蓮胤、外山の庵にて、これをしるす」とあることから、1212年(建暦2年)に記されたとされる。』

という事で、枕草子から約200年後に、歌や管絃の得意な神社の息子が思った職に就けなくて、方丈しかない大きさの庵を山奥に建てて遁世生活をしこれを書いた、というところでしょうか。

今回僕はまた角川ソフィア文庫版を読みました。原文は実質30ページしかない短いものですから、原文でもすぐに読めました。

長明は方丈記の中で、目の当たりにした火事、地震、竜巻、飢饉などの有様を通して思い知った無常感を書き連ねています。そしてそんな喧騒から逃れ、数年に渡る隠者生活でこそあり得るシンプルな感動をみつめなおします。

僕は方丈記も含め前回の映画鑑賞会でみた「どですかでん」や読書会で取り上げた「枕草子」、「草枕」などに共通する部分があるように思いました。

これらは哲学でいうところの実存主義を芸術表現の分野で解釈してみれる事ではないかと考えました。

・「どですかでん」では、貧困のなか、極限的な生活を子供と二人で送る乞食がマイホームを建てる夢を、子供に毎日聞かせるエピソードがあります。しかし貧困の果てにとうとうその子供が死んだ時、乞食は「ほら、家が完成したよ」と、その夢の映像と共に土葬した子供に語ります。その悲しい筈なのに滑稽な程幸せそうなシーンが、実存主義を意図したものであると考えます。別の視点では、このシーンはドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟の、主人公アレクセイが訪問する、困窮している「二等大尉」の親子のエピソードとよく似ていて、ドストエフスキーに影響を受けたと言われる黒澤明もドストエフスキーと同じく実存主義をここに表したのではないかと考えられると思います。

・「草枕」では、主人公の絵描きが説き続ける内容自体、実存主義そのものです。

・「枕草子」では、「類聚章段」をはじめ、日常生活や四季の自然を観察した「随想章段」などのいくつかがそれに相当するのではないかと考えます。当然、実存主義が言われ始めるより500年も前の、しかも「哲学」自体日本にはなかった時代です。
しかし「主義」ではないにしろ仏教は元々「私」ありきですから、実存主義的な表現が生まれやすい文化圏なのではないかと思います。

・「方丈記」では、三十四段で「個」を主張しています。

実存主義は、哲学の範囲ではキリスト教の「神」をテーマにしていた時代から、神の支配を脱出して「普遍的、必然的な本質存在に相対する、個別的な、偶然的な現実存在の優越を主張する思想」(Wikipediaより)、いわゆるその時代において、「神」の相対として「私」へテーマを移した思想です。

哲学の主流はこのあと構造主義、ポスト構造主義、ポストモダンへと移って行くのですが、
芸術の世界では現在でも、「私」から出発する表現が、意図せずとも実存主義を表しているものが沢山あるのは事実であると、僕は以前から強く思っていました。

では、そこでやっと、僕が生涯のテーマの一つにしていることが関わってくるのです。
それは、「芸術とは、何か」、です。

いやまぁ、一言では言えない事でしょうが、僕は二十代の頃、若気の至りで大それたことに、「芸術」よりも少し規模が小さいですが「音楽とは何か」に答えてしまった事があるのです。

僕はその時こう答えました。
「音楽とは、生活である」と。
漫才師のスリムクラブのネタのようにも読み取れる極論ですが、言い得て妙と今でも納得すると同時に、二つの責任を果たすための人生が続いています。

一つは「生活とは何か」を追求し、説明する。
もう一つは「音楽」でなく「芸術」になるとどうなのかを追求する。

これらを追求して来まして、これらには実存主義と、それ以外の哲学的思考の優位性が大きく関わっている事に思い至った次第です。

今回は方丈記を読んで、ということなんですが、読んでから考えていたことはあまり方丈記と関係ないこれらの事ばかりでした。取り繕う必要も感じなかったのであえてこう言った事を書きました。

また今後も追求を続けて行きたいと思いますので、ご興味あるかたはお気軽にお絡みください。

では長文になりましたが、今回もお付き合い下さいましてありがとうございました。
(2012/5/29)

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