創造について

練習を始める前に、久しぶりのブログ更新をしておこうと思います。
(公開後何度も読み返す度に、足りないのを加えて更新をしてます)

昨日、中1になる長男が、

「塾の小論文の授業で、『ある言葉を他の言葉に言い換える練習』というのをやって、僕は『創造』という言葉を『無から作り出すこと』と書いて褒められた」

と報告してくれました。
私は、それについて、

「なかなか良いこと書いたな。しかし俺だったら、創造とは批判だ、と書くかな」

という話をしました。
それを聞いた長男は、少しビックリした様子なので、幾つか例をあげました。

いまはここにさらに加えて例をあげておこうと思います。
がそのまえに付け加えると、

本当は長男には「創造とは批評だ」と言いたかったのですが、批評という言葉には馴染みがなさすぎるように思って、否定するイメージが上乗せされた分だけ解り易くなるかと思い、批判という言葉を使って「創造とは批判だ」と、言いました。
あまり変わらないけど。

重ねて付け加えますが、下記の抜粋のように否定的な意味ではないものとして扱っているつもりです。

『批判の意味 (wikipediaより抜粋)
「批判」の意味
批判の定義は論者によって異なるが、批判の定義について次のように主張する論者がいる。

批判という言葉は反対する、受け入れない、などのイメージから否定や非難と同義で用いられるケースが存在するが、批判とは情報を分析、吟味して取り入れることを指し、客観的把握をベースとした正確な理解が必要である。批判という字自体「批(事実を突き合わせる)」「判(見分け定める)」という意味合いであり、元々否定や非難という意味を持たない。また、否定という言葉はその情報自体を拒絶するという意味合いが強くまた主観的要素を含んでおり批判という言葉の意味とは隔たりがある。』

さて、
身近な批判の例です。

⚪︎絵でも音楽でも、人と違うことをする。そしてより良いものを作ろうとする。
それは既存の絵や音楽の批判から始まってる。

⚪︎岡本太郎の太陽の塔は、どんな意味を持たせられたか。
岡本太郎は、未来に、『違和感』を残したかったと自著で語っています。
これは既存の社会や価値観の批判です。

⚪︎美味しい店があって、でももう少しどうこうしたら、もっと美味いのになー、俺だったらこうするぞー、これもその店の批判です。

⚪︎そっくりでスゲーな、というのではなく、似てるけど笑っちゃうモノマネ。
これは有名人批判です。

⚪︎私はこういう生き方を選び、この価値観を社会に浸透させたい。これがかっこいい。これも批判です。

⚪︎別の言葉に言い換える、これこそ批判です。(既存の言葉の持つ定義、既成概念の批判は、批判の核ではないかと思います)

⚪︎そしてそもそも、『無』ってあるのかな?どこに?
すでに君がいて、その周りと過去に人間が居て、どこにも『無』が実在しないのに、どうやって無から作る?(これは長男には言ってません。言いたいけど、もう少し大きくなってからにします)

⚪︎最近はテレビで毒舌キャラがもてはやされてるけど、
それは毒舌的批判がある意味創造的だからではないか。

商品の差別化とも似てると思います。

さて、これらの批判は、良くも悪くも求心力に差が出て来ますが、
それは何に依存しているのか考えました。

僕の答えは、
一つには、既存の対象が持つ権力、に、
もう一つは、如何にパーソナルか、(個人的であるほど、普遍的であるという考え方に則ります)唯一的か、に依るのかと思います。

これらの私の意見はまた、引き続き批判されるべきものでありますから、
私はより良いものを知るために、その布石にならんと、ここに書いておこうと思います。

長男は例をあげたものについて、特に感想を言わずに、お風呂に行きました。

いつか、何か、彼だけの批判精神につながることを願いながらの毎日でございます。

その批判精神が創造そのものであるとは言いませんし証明の仕方もわかりませんが、重要な要素であるとは言えると思います。

では最後までお付き合い有難うございました。
練習しまーす^ ^

また!

(2014/9/10 笠松)