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蝉の遺骸

夏といえは、命の始まりから勢い溢れるまでの時期を思わせる季節なのは、日本共通だろうか。

しかしそれは、補色のように裏腹を含み、まとわりつく水蒸気のように、はかなさもまとっている。

街中でみかける蝉といえば

初夏ならクマゼミだ。

このあとアブラゼミ、最後にツクタク法師。

このなかで、羽の透明なクマゼミが一番高価である。子供のときの感覚で、である。

クマゼミが鳴くのを意識し始めて一週間、クマゼミの遺骸が道に転がるのを幾つか見た。

車に踏みつけられ、二次元の世界へ旅立ったのもある。

死んで踏まれたのか踏まれて死んだのか、どちらにせよ踏まれた瞬間の、パリッとしたであろう音感覚が、聞いたわけでもないのに忘れられない。

それは、

命の、やり残したことも持ったまま逝ったかもしれない、はかない最後であると同時に

有機物であった過去があるからこそ限りなく無機的な、パリッとしたハッピーエンドなラストソング。

葬式で、焼くと途端に逝っちゃった感が出るのはまさにこの、無機物と化した遺骸の、馴染みのなさ、かとも思いながら、

そこでオイラは、お得意(嫌味)の哲学的考察に浸る。

実存主義的には、後者メジャーKeyのラストソングを推薦するだろう。

以前どこかの岡本太郎展に行ったとき、残された秘書で養女で妻の岡本敏子さんがスピーチをされた。

丁度ニューヨークの同時多発テロの直後で、あの崩れるビルが、美しかった、と敏子さんは言うのを、僕はどうしても受け入れられず、かといって否定するのも違うので、敏子さんと同じくらいの声量で「いやー、それはわからへんぞ〜」とその下りをリビートの1番カッコと2番カッコの二回やって、それ以上言わなかった敏子さんのスピーチに、そんな形で水を挿して帰ってきた。

岡本太郎は素晴らしかった。

あの時、敏子さんは実存主義的視点を、そしてその価値を、一般市民に啓蒙してくださったのだろう。

そしてその価値はあるとは思うが、

実際あそこで、無実の方たちが巻き込まれて死んだ。そのご本人とご家族の無念さを思うと、

あーそうですね、美しかったです。あれはひとつの「美」の形です、ソノトオリ

と、無知を盾に事無きを望むようなことはできず、芸術家のはしくれとしてその価値がわかるからこそ、それ以上に大切なもののはずである「人の命とプライド」を守りたかったのである。

実存主義を啓蒙せんと話される敏子さんのプライドと、巻き込まれて死んだ沢山の方たちのプライドとを計ってみよう。

どちらが重く、どちらが優先されるべきか。

後者であると、僕は考えた。

蝉は、

蝉のプライドは、

二次元にしかないのだろうか。

僕らがこうして、思いはかって

言葉にするしか

蝉のプライドは存在し得ないのだろうか。

ほとんどの場合生き物は、自分から死を望まない。

その選択があったとしても、必要と、生きようとする以上のプライドのための選択としてある。

それを思うと、自分を生きようとする事が、プライドの核であることがわかる。

自己同一性がある蝉は、生きてること自体がプライドである。

それが自己同一性のある動物どうしの弱肉強食によって失われるのは、お互い様のことであって是。

生まれ持っては自己同一性のない私達(食べたいからといって、人のものでも何でもそこにあるものを食べない。理性はそれを人に要求し、社会性が人を一旦、成熟まで自己同一性を保留させる)は、

自己同一性のもたない人間が、自分を生きようとする人間のプライドを、精神的にも肉体的にも、絶対に傷つけてはいけないのである。社会のなかで理性を尊び他者を傷つけ無いよう気をつけながら、自己同一性を獲得する努力をして生活する人間にとって、理性をもたず自己同一性だけを主張する人間に危害を加えられたとしても、同じことをまた他者に、また回り回って加害者に罰を加えようとはしないのが社会というものの暗黙の了解であり、自己同一している動物同志のお互い様とも違うから、である。

このようにプライドというものの存在をはっきり認識し価値を重んじると、現代の司法の在り方が既に古くなっているのをおそらく専門家の方は問題を意識して、少しずつ今に合うように改善もされてるのだろうが、対処療法ではおそすぎるので、結果がて出るころには既に過去の症状にしか沿っていないところで、

僕は根本的なところを変えれば、発症に沿うでなく、未病に沿うものになるのではないかと、ここで発表したい。

それは、プライドの定量化である。

罪は全て、プライドに対して軽んじた度合いで査定したらいい。

被害者のプライドをそっちのけで、いじめが確認できないとか、何人死んだとか、過失かどうかとか、責任能力があるかとか、過去の最高裁判例で、その中を取ってきめるのだから、ありえない判決にみえるものが出たりする。

この際人一人のプライドを100として、刑法民法それぞれその犯した場合の差点が犯した内容によって決められて加害者の100から引かれ、

一人の命を奪えば自分の持ち分100も失う。

それに加えて残虐な、非道な殺し方、もて遊び方をしたような犯罪は、それぞれがプライドを傷つけるため、それぞれの行為に差点があるので合計100を超えた罪は、その親類縁者、近縁のものの持ち点から残りをひいてゆく。また仮に被害者が死んでいなくても重い罪になることもある。

持ち点が80を下回れば刑務所行き。人のプライドを傷つけない言動を続けれは一年に一度持ち点が1点回復し、80点を超えればシャバに戻れる。

もういいか。

なにせプライドを大切にすべきである。

こんなボードゲームを作れば、プライドの大切さを啓蒙できるのではないか、うまくいけば流行って儲かるのではないか、と

ひさしぶりのブログ更新で思った、クマゼミ哀歌であった。