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エスとエムについて。

こないだ、いつもご一緒して頂いているベースの家口さんとライヴ後の歓談中に、ところでエスですかエムですか、という話題を確か僕から放り込んだ。

というのは、以前から、そういう性的な?嗜好が、会話や応対以外にも、あろうことか、または当然のように音楽の作り方にも随分関わっていて、分かりやすいエスのかたの(僕からみての主観)音楽にはほとほと飽き飽きし、うんざりさせてもらっているので、その辺りの統計的な調査を気が向いたときにだけすることにしていた。

家口さんは、僕からみると、どちらかというと無口で、温厚なかたで、どんな頼みでも(といっても僕の頼みというのは、ベースを弾いてくださいということだけ)気を悪くするようすも、音楽のアイディアという免罪符を持ち出して共演者に意地悪をするようなこともなく聞いてくださり、ひたすら音楽的な選択のもとに低音をひいてくださる、まさに縁の下の力持ちの代表格で、やっぱりエムなのかなぁと思っていたら、

ご本人は、どちらかというとエスだ、とおっしゃる。

意外な感じもしたが、ベースというのは音楽(の方向など)をある意味、絶対的に決定する役割もあるので、その部分ではエスを満足させるには充分な力があるわけで、エムに見えるエスなのも納得がいく。

さてさて、そこで僕のことを家口さんからみてどう映っているのか、聞いてみると

エムじゃぁないですか?
とのことであった。

なるほど。
そこで思ったのは、ベースを弾くかたは、エスが多いのではないだろうか。

エムに見えるエスが多いのだ。

低い音域でベースを弾くエスの家口さんが、フロントでギターみたいな高い音域でベースを弾く僕のことを、 エムだと思うということは、これはある意味、主催者である僕の性交いや成功である。

さてそれから数ヶ月経ち、
気になってることがあったのだけど、いまになってわかってきた。

なぜ見るからにエスが演奏する音楽がなぜ面白くないか。

おっさんのガサツとよく似てるが、おっさんは自分のことで手一杯で周りのことが気になっても後回し、自分のスタイルを押し通すのだ。
そういうのを、僕は、見るからにエスと名付けた。
そんなおっさんが嫌い(自分のことは棚上げ)。

さてなぜ、エムに見えるエスが存在するのか、
それは、気配り、状況判断など目一杯配慮しながら、最終的に事を思った方へ進めて、結果として全体が思った通りになっていなくては気がすまない、それがわがままの極み、エムに見えるエス、なのである。
思ったとおりに進めるためには少々の受け入れなどは当然なので、その瞬間だけみるとエムに見えるのである。

僕はそれです。

見るからにエスの音楽が、あまり面白くないのは、全体をみるとあまり図れていない(調和していない、という意味ではない)ように聴こえるからである。

それと逆に、気配りなどが行き届いた人を、実は究極的なわがままかもしれないと疑って、差し支えない。
お気をつけくださいませ。

さて休憩おわり。
今日は、布施のクロスロードです。エス同士のベースの濃い絡み具合を堪能下され!