月別アーカイブ: 2015年2月

世界が変わるのをみたかっただけさ。

ペイフォワード、という映画をご存知ですか。

僕はこれを観たのが今日で三回目になったと思います。

ヘレンハントさんの綺麗なこと、、いやそれは置いといて

僕も、世界が変わるのをみたいと、思っている人間の一人です。

自分が変わることで、周りが変わる。

いつまでも変わらない寅さんと家族とかと違うものです。

僕は山田洋次さんを尊敬していますが

僕が音楽でやることは、どうもペイフォワードの方が近い気がします。

見たことない方は良ければ一度どーぞ。

以下、追記。

でね。

僕は、特に映画を観て思うことが多いんだけれど

大事な人が死ぬことが、映画では特に多いんだよねぇ。

死は、隠喩には大きな意味がある場合がある。

戦争とか事件とかを題材にした映画では、実は現実の方が悲惨だったりするわけで、

帰納法的推論ということになりますか

⚪︎音楽に、死は、ないし、否定、もないので、死を、否定を、隠喩することは出来ても、死で、否定で、隠喩することはできない。

⚪︎音楽は、芸術としての普遍的価値がある。

⚪︎ゆえに、芸術にとって、死は必然では無い。

かもしれない、と思う。

にもかかわらず、なぜ、映画はなぜ、これ程までに死を必要とするのだろう。

表現の目的が、事実、だからだろうか。

音楽をやりながら、僕は、その目的に賛同するのである。

追記その2(極めて独り言に近い)

だとすれば、こう推論すればどうだ。

⚪︎芸術の普遍的価値とは事実である。

⚪︎音楽も芸術である。

⚪︎ゆえに、音楽には事実性が不可欠である。

音楽の事実性、ってなんだと思う?

いろんな言葉で言えるかとおもうが

諸行無常かな。変化ですか。

しかし人は必ずしも変化を好まない。

映画ではそれによって導かれた世界はクソだと言っている。

ああ、僕もそう思うよ、トレバー。

クソみたいなやつに殺されたトレバーと、川崎の中一の方が、僕の中でどうも重なっているよ。

冥福を祈る、なんて他人事な言葉はウンザリだ。

悔しい。