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ベーシストという人間ぞ

8弦の楽器の練習の合間にそこそこライブがあるもので、

その都度もとのチューニングにもどると、リセットする部分もあり、ジレンマをかかえている。

新しいチューニングは新鮮なインスピレーションをもたらすところもあり、ライブをやるたびに、いままで聴こえてこなかったこと、弾いたことがないようなことができたりするようだ。

そして

どんなメンバーがどんな音をだしてるのかが、今更ながらこれ程自分の音楽まで変えるのか、ということに驚きを覚えているところだ。

特に面白いのが、ベースという楽器とベーシストという人間だ。

これまで4、5人のベーシストと共演させてもらっている(ジャズというジャンルに限る)が、

それぞれ、違う、というのと、共通しているように思うところがある。

違うのは、出るもの全て、が違う。

音色、音圧、テンポの感覚、音選び、懐の深さ、突き放し方、など、すべてが違うが、

共通してるのは、話の聞き方とその解釈の多方向性、と言いうるか。

言葉の意味だけで返事をしてこないし、自分がどう思うか、という視点が抜け落ちた会話にはまずならない。

はたして自分がどうなのかはさておき、

ベーシストは面白い。

そんなかれらが、それぞれ違うそれぞれ好みの地面の環境を配置する。

その地面は、熱や、風や、広さや、光や、人の気配を含んでいて、正に環境である。

かれらの、これが仕事である。

そして求められた仕事以上の、現状分析と近未来予見描写をココぞという時に発言する時間が設けられていて(ソロのこと)

これがまた皆、やっぱり違う。いろいろ違うが、僕が気になるのは、

現状分析と近未来予見描写の、割合がちがうところだ。

伴奏者が現状分析の割合が多いのは、ソロイストに対するレスポンス側としてあたりまえだが、

そこに近未来予見描写をどれだけ盛り込むかは、ベーシストがソロイストとしてのアイデンティティをどれだけ持っているのかに関わっている。

そして、どれも不正解ではない。かといって正解もない。

そんな、みんなのバランスが、配分が、少し違えば自分とは違うことはわかり、

その少しの違いが、それぞれの考え方と生理的感覚の違いによって成り立っていて

元を辿れば、計りしれない違いであることに気づくのであった。

そんな個性が、やはり

音楽という、特にジャズというルールによって、毎日何処かで、一つの作品に結実することがありえるのは、

、これはやはり仕事といえども

すごいことだなぁ、と思った

チョレイ

と毎回言ってもええなぁ。