先にインスタグラムから、写真を添えて投稿したテキストが、2つの楽器用に、それぞれ一つずつあるのでそれを忘備録的にペーストしておく。
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その一

笠松聡也メイン楽器ーNs/stick用、最新エフェクタボード
空間系の音色と、電車移動出来る手軽さを重要視しています。
○Ns/stickステレオアウトギター側→エレハモVP→Caline ステレオVP→
Zoom MS50g
アウト①→TC nova dynamic(コンプレッサー)→アナログミキサー
アウト②→TC Flashback4→HOTONE VP
→アナログミキサー
○Ns/stickステレオアウトベース側→Caline ステレオVP→
Zoom MS60b
アウト①→TC nova dynamic(ノイズゲート)→アナログミキサー
アウト②→TC Flashback4→HOTONE VP→アナログミキサー
4つの入力をアナログミキサーからアンプへ。
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そのニ

ピアノ並びにギター等の伴奏用
Godin A4 フレッテッド saのためのセッティングを、
やっと決めることができた。
この楽器はアウトがステレオでは無い2系統(ピエゾとハムバッキングピックアップ)ついている。
ピエゾアウトは一旦Line6のM5に入って、僅かにアコースティックフランジャーをかけて、ピックアップアウトからきた音とJoe meekのマイクプリアンプで混ぜて、アンプに。ジョーミークでは浅いコンプレッサーと極端にハイカットしたイコライジングをしている。
どーやったらスティーブスワローさんみたいな音になるのか条件は、
○アコースティックなフレッテッドベース
○ピック弾き(今はどうか知らないが、金属のピックらしい)で
フレットのある所くらいブリッジから離れた場所をピッキングする。
○オフビートが強いピッキングになるように、一拍目はアップから始まる
で最後に今日発見したのが、
○フランジャーかフェイザーのようなのを微かにかける。
であった。
今後ジャズの時はピック弾きになる予定。その重要なピックは今ん所、ジムダンロップの206になった。
ピックで弾くのはとても難しいし、またエラく分厚いのでコツがいるが、いくつかのものの中では弾きやすく、音色も良いような気がしてこれにしてみた。
弾いていると、フィンガーピッキングとは全く違うフレーズになる。
ベースをピックで弾いたことはこれまで殆どなかったのに、
とてもイメージが湧いてくる。
ーーー以下、このブログだけの内容ですーーー
人生は人によって相当違うものだから、自分のこと以外は想像だにできないが、批判したりされたりするようなことではないし、あるべきではないと思う。
だからそういう他者の人生を尊重せず批判的に考えてしまう人を僕は尊敬できない。ましてや、芸術、音楽をやっている人間として、他者の価値観を尊重できないのは、ほんとにどうかしている。
僕は、それぞれ個々の人間が、自分の価値観は正しいとか作品に対する自負を持つのは勝手なことだけど、それをもってしてなにを社会に供するのか、とは、即ち個の価値、違いを受け入れ、「多数」という偽物なのに一般化してしまう正義を批判することである、と考えているから、
そもそも、他者の価値観を批判するあなたは間違いに気づいていない、と思うのですが、
また実はそれ自体が、次元は違えど価値観同志の批判でもあるので、自分が他者の価値観を批判していることになりかねない。
なので、出来ることはただ黙って、自分の事を完成する努力をするだけであるし、そう思って演奏する事と他者の尊重を仕事の中心に置かざるを得ない「ベースを弾く」という仕事との温度差に悩み解決策として「6弦」そして去年からは「8弦(Ns/stick)」を弾き、他者を理解し過ぎて崩壊していくような自分の価値観を守るためにフロントで演奏することにきめたのが十年ほど前だった。
それが今日の「その一」として結実し、熟成の日々であります。
そして十年経ち
これまでは価値観実現のために発見と改善と努力の日々であったけれど、自分がやることがあとはほぼ努力だけになっきて、
改めて自分のアイデンティティの中心であるベースという楽器を、自分がどう弾くべきなのかについて、見えてきたことが少しある。
ベース。プレイに一番影響を受けたのはゲーリーピーコックさんか、ゲーリーカーさんのゲーリー兄弟でしょうが、現在エレキベースを弾き続けている僕が名前をあげるのはジャコ・パストリアスさんであるべきかと思う。
ところが本当は、音楽的に、一番好きなのはベースならばスティーブスワローさん、楽器こだわらなければ最近もブログに書いたけど、キースジャレットさん、トゥーツ・シールマンスさんと今は、ビルフリーセルさんであります。
そのスティーブスワローさんが弾く「ベース」が、僕はベースとして本当に素晴らしいとおもう。
キースさんの本には、「本来生命活動自体が原子同志の電子交換なんだから、電気楽器を使うのは弱体化である」てことを言っているのを一理あるとすると
弱体化することが、弱き人々を肯定するポップさと、ガチリアルへいざなう、壮大な音楽への入口であることを使命である、としているかのように、スティーブスワローさんがきらびやかで優しく、頑固に奏でるエレキベースが、イッソウ刹那のもののように感じられる。
我をすてて、あるべきことをやる勇気と知性を、奏でているようにも聴こえる。それが我である、と。ぼくは、この表現に触れた気がしたときに、いつも、とても感動する。
それを、もし最高のものとして発見しても、学校で説明されても、
以前の自分は、あるべきことを否定し、アイデンティティのために我を優先し、
自分由来ではない価値観を優先する賢さをどうしても持てなかった。
それを解決するには、あるべきことをする価値観を自分のアイデンティティにできるまで、試行錯誤する、のみである、と信じて自分に従ってきた。
しかしその時が、ついに来たような気がする。
音楽、楽器、その難しさもさることながら、自分の感動するベースというものを個として弾くことの意味ときたら、エグいくらい深堀りと周回をしなければいけないのだ。
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まだまだわからんことと出来ないことがあるけれど、思った通りやり続けて、動機そのものを味わいならが自分の人生を進んでいくこと、これこそ充実というのかなぁ、と思った、という投稿でした。
長くて自分のはなしはばかり、読んでいただいてすみません。
懲りずに応援宜しくお願いします。