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次読むのは「リズムの本質について(ルートヴィヒ・クラーゲス)うぶすな書院」

一年以上前、哲学のコーナーに不意に見つけたこのタイトル、手に取らずには居られず

やっとその気になりましたのでスタート致しましょう。

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今日の行き帰りに読み終えたアンドレ・ジッド「背徳者」

読後に感想を思いながら解説を読むと、この物語の意味は、ほんとうに解説のとおりの意味だとおもい、果たしてこの登場人物に感情移入が出来切らないまま解説を読んだ自分には、もう解説だけでも良かったのかと思うフシもあったけれども、

こうして読み終えれたということは、それなりの興味を持ち得たということかと。

何より、「背徳者」というタイトルに反して何の背徳もないまま9割過ぎていくので、何が背徳なのかを知らないままやめる気にならなかったということは大きかった。

以下にいくつかの気になった言葉を上げて今回の読後を終える。

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アンドレジッド「背徳者」角川文庫淀野隆三訳

P112
幸福ってやつは出来合いが嫌いなんだ。誂えでなくっちゃね。
P113
今日、なぜ詩や哲学が死文字となっているか、君は知っているかい?ー中略ー
今日では、美はもう行動しない。行動は美であることをもう心にかけない。そして叡智は別個に働いているのだ

P160
芸術作品のない土地。私は、すでに転写され説明しつくされたもの以外に美を認めえない人間を軽蔑する。

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このP113の「美は行動しない」

という言葉は、僕がたまに引用するゲーテの「行動する者は良心を伴わない」という言葉と似てるな、と
年代はゲーテが先で、ジッドはゲーテ勲章など(ノーベル文学賞受賞作家)を授与されてるので、影響を受けたことばなのだろう。

ゲーテにせよ、ジッドは勿論、彼らは美と良心の伴わない「行動」を批判している、と言えよう。

そして批判であって、それが事実ではない場合があることは僕がこのブログで書いている「愛と芸術の相関性についての安心。(フランクル「夜と霧」を読んで)」で証明しようとしているし、クレイジージャーニーにもそんな、美と良心を伴った行動をしている人を見かけるし、一緒に演奏している人には僕はそれを求め、且つそれでこそ尊敬し、音楽ができるし、

要するに、美と良心を伴う行動は、まれにだけれど実現可能なので、すなわちそうでない多数に対するゲーテやジッドの批判である。

全く同感だ!

さて、また「リズムの本質について」を読み終えたらここに何か書きますので

興味あったらブログか、その本読んでくださったら嬉しいです。