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過ぎゆく日

二年目の最後の授業が終わって、休みに入ったのでココは一つ落ち着いて長めにブログを書いてみよう。

ようやく慣れてきた専門学校であるが

そこで学ばれるのは主として日本のPOPSやロックである。そしてその境界線はわからないぼくだ。

で、ホントは学生が弾くはずなのに後期の午前授業になると学生がガゼン少なくなってきて、結構な頻度で僕が弾く事になった。

嫌々でもないけれど、自由のない、もしくは自由を求めて演奏したところで他の誰もが誰も聴いていないか反応しないので、

ちょっとしたアレンジでも加えて演っていると

自由を求める事が間違いの様な感じになることが、割とある演奏に寂しさを募らせる授業であった。

しかし学生がそんな状態なのはしょうがないので、彼らの将来のためになんらかの示唆になるのではないかと、同じ曲の演奏回数を増すごとに自分の

「自由を求めよ!」

という主張を少しだけ強くするようにしていた。

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ここまでの話は前置きで

本題は自分の発見らしきことの報告だ。

僕は、自分が本当にしたい演奏を発見するために、ある時を境にして

去年まで6弦、今年から8弦のベース(ベースかどうか謎ですが一応です)で、低音域からボーダーレスに高音部を使った演奏を想像し試行錯誤していたのだが

学校でなんどもJ-POPの同じ曲の同じベースラインを弾いていると、

ある時はこの感じいいなあ、と高2でエレベを始めたときに最初にコピーした安全地帯のワインレッドの心のベースラインを覚えたときのように、

若さに訴えるだけではなく、ベースラインの面白さというか、対旋律としての重要度というか、ある程度の低い音域で全うするベースの役割に気づくというか、至極当たり前の事を改めて理解し始めたようなところがある。

またそれが、丁度ベースの丁度4弦、下からEADGの1弦G線で完結する音域であるように感じ、歴史が淘汰してきたことがまさに必然なのだなあと感心する。

では僕は8弦を捨てるのか?ではない。

あくまで、自分が8弦をつかってどう音楽を組み立てていくのかという指針として、学校の授業で弾くことがとても参考になった様におもうということが、

言いたいのだのだ。

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自分がフロントとして他の人のウッドベースにベースをまかせて音楽を作るときと、ピアノが居てベースラインを弾くべき時があるこの頃だが

まずは、ベースとして

これまでピアノやギターがいる時にも何とかベースの高音域の美しさを織り込むように考えて居たのが、ベースラインは4弦まででいいという安心感の中で、飛び出ることもアリと思いながら弾くのは全くベクトルが異なっていて、その意識でこれからしばらく取り組もうと思ってるのと、

フロントとしてやるときには、正に指板上、視覚的にベースがどこに居て、自分が何処に立つのかを区別出来るような気がするのだった。

荒野に放り出されるように、

「自由に演りなさい、あなたの自由とはどんなものなのか見せてみなさい。あなたがこの荒野で自由に生きるときに、何をもって生きるのか、生きるとはなんなのかを音にしなさい。

そうして人々に、生きるとは何かを問いかける生き方をしなさい」と、

最後の命題を突きつけられるかのようなジャズだけやっているのでは、気付かなかったことに気づけて本当に良かったとおもう。