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こと話すこと2

下の子が高校生になってまだ二週間。

小学校の五年生くらいから勉強する時間が増えて、水泳部にも入ってはいたが余り友達とゆっくり過ごす時間も持たずに、早めに退部したり勉強ばかり頑張ってきた彼は、高校生になったらなんのクラブに入るかが、勉強中の目下の楽しみであった。

受験前は山岳部に興味があるようなことを言っていて、もしかしたら兼部をして軽音部でドラム(才能があるようだとおもう)をやってもいいかと言ったりしていた。

が上の子(彼の兄)が中学では先輩にあたるおなじ水泳部、高校から別の高校ではあるが陸上部に入ってストイックな個人競技に取り組んでいるのをそばでみてきたのでどうも親しみを感じるらしく、

クラブ紹介や仮入部期間の見学、体験を経て陸上部に入部する気持ちを固めてきているという話を聞いた。

それはそれでもちろん悪いことではないので、全く反対はしないのだけれども、僕は上の子は勝手にバンドをやったり興味あることを勝手に見つけていろんなことに取り組んでいるので不可抗力的に壁も経験し頭もうち自己解決能力を高める機会となる。

しかし下の子は本人も言っていたが生活環境を最低限の行動で過ごしたいみたいなところがどうもあるので、

水泳と同じような個人競技で、数字を勝ち取っていくのが主になるクラブにまたもや三年間を費やし、勉強と同じような精神の積み重ねだけで彼にとっての新しい価値観を目の当たりにしていかずに、別の言い方をすれば他者を受け入れる機会から遠ざかるのが、どうしても残念、もったいないという気持ちを拭い切れなかった

しかし僕が単刀直入に他のクラブの事を話したりするとほかを勧めるような圧力を感じるだろうし、どうしょうか、、、と思いながら、登山部のクラブ紹介の話を聞くだけ聞いてみた。

なにやら、登山部への興味が薄くなったのは、『ゆるさ』が感じられてそれが面白くなさげだったかららしい。

文理学科を設定している高校の学生はまあ真面目に勉強して入学を勝ち取った誇りとやる気を持って入学し、入学時にはまた学校側に、グローバリゼーションの歯車になることが史上の価値であるかのように

(僕はそれが駄目だとも思っていない。時代はそうなってきてるし、そういう価値観に対応できる所謂優秀な人材になることが夢であるのも悪いことではなくむしろいいことかと思うが、そうでない価値観も社会にはあるのは明白で、いろんな価値観といろんな文化、環境の他者を心の底から尊重するには、グローバリゼーションは史上の価値ではないことを肝に命じて、その上で優秀になることが一番良いことだと僕は教えるつもりである)

煽られて過ごし始める。

そこに、話を聞いていた上の子が参戦して、『ゆるさ』に対して思った通りの批判をし始め、そりゃそれは面白くないな、みたいに言うので、上の子は今回の当事者ではないことで、僕は好機とばかりに下の子を当事者ではなく傍観者の位置につけて、上の子に以下のようなことを話し始めた。

ーー

『ゆるさ』という価値観もあるんじゃないのか?

アンチグローバリゼーションの価値観をも認めていくことがほんとに賢いやつだぜ、

そうで無かったら君たちのこれからの人生は、今すでに君たちが知っている、勝ち取るやつと勝ち取れない奴という基準だけで生きてゆき、幸せになると思うか?

まだ知らない価値観が、もっと沢山世の中にあるはずではないか?

たとえばバンドをやる事って、練習して、できなかったフレーズが弾けたりできなかった曲が弾けたりすることがゴールだと思うか?

音楽を一生の仕事としてやる大人がいて、誰かと比較したり間違えずに譜面通り弾けたり、そんな単純な、すでに答えの出てることを一生の仕事としてやり続けるようなことが、芸術の正体なのか?

『ゆるさ』のあるクラブを退屈で、出来ないやつ、頑張らないやつの集まり、それだけだと感じることを、逆に心配している。

ーー

解りやすく書いたらこういうことを話して、子どもたちはまあ、なんとなく分かったらしい。

上の子が話に切り込んだおかげで上の子にも、下の子にもうまく話す機会ができて、今回はラッキーだったと思う。

下の子は別のクラブにも、兼部で入部できるなら試してみるつもりとのこと。

子供が頑張ってて、頑張らないやつの批判をするところを親が味方をする、という構図であった。